shirakawa go around

17.08.05

下山 勝巳

白川村のこれが旬

いにしえ?の広報しらかわを読む

さて、下山です。

家の片づけの中で出てきたのが、こちら。

いにしえの広報しらかわ。イニシエつーても、38年前、昭和54年の1月の分からではありますが。
昭和52年からのもの、もしくは昭和53年1月以降のものがあれば自分の出生したときのやつもあったのかもしれないのですが、残念。
白川村民なら誰でも知っているこの広報しらかわ、白川村民だけに行政から毎月配布される広報で、地域の情報やら、行政の取りくみ事項やらなんやらかんやらが掲載されています。

昭和54年のころには、帰雲城に関する連載がしばらくあったようです。なかなかに興味深い内容です。

こちらは飛越合掌ラインの開通の記事。現在の白川郷と五箇山を結ぶ合掌大橋が開通した時の記事でしょうか。
現在は高速道路に対して「下道(したみち)」と呼ばれている国道156号線ですが、富山方面への交通の便が格段によくなったことで村民に喜ばれていたようです。
実際、飛越合掌ラインが通る前の道というのは、なんとも危険だったそうです。

夢見る21世紀。
「コンピューター、ロボット、高度な電子機器など発達した2XXXの今日では、美しい自然の中で、人間性を保養しながら過ごすことが大切で、ここは理想郷ですヨ・・・・」
との文言。「ヨ・・・・」の語尾に歴史を感じます。あったあった、そうゆうの昔あった。俺0歳やったけど。
宇宙の実用化という部分に関しても、衛星によるGPSの活用がカーナビやらスマホやらに反映されていることを思うと、おおむねあっているのでしょうか。

こちらは昭和56年(1981年)の56豪雪の記事。
この文字とかは役場の職員の方か委託された業者の方が手書きで描いていたのだと思うのですが、現代のパソコンでフォント選択してちゃちゃっと作ることができるのに比べると、ずいぶん手間暇がかかるし、またいい味があるなぁと、そんなことを思ったり。

昭和56年(1981年)。ナラゴケこと、マイタケ栽培の成功の記事。
この記事の方のところには「雪国マイタケ」の会社の方が技術を教わりに来たと聞いたことがあります。白川村で生まれた技術が、雪国まいたけの元の一つになっているのかもしれません。
あいにくながら、白川村では現在養殖マイタケの栽培は行われていないのですが、もしかしたら、これが大規模な事業化をしていたなら、白川村は雪国マイタケをおしのけて、養殖マイタケの一大産地となっていたのかもしれません。

昭和56年。

村外に出た元村民からの寄稿が連載されていました。「地場産業(生産業・製造業)が無い」という白川村のウィークポイントをこの時にすでに指摘されています。

 

「ぼくたちわたしたち4月からピッカピカの一年生」

の、自分と同級生たち。なっつかしいなぁ。

ぺらぺらめくっていると、今はもうおじいちゃんになっている方がすんげぇ若かったり、「そんなに似ていない親子」だと思っていたのが、父親の若いころに現在の若い息子がうり二つだったり。過去に村がどういうことにどういう目的で取り組んできたのかとか、また、どんな人がどんな思いで関わって何をしてきたのかとか、そういったことを知ることができてなかなかに面白い。
白川村に図書館整備に使ってほしいと高額な寄付をしてくださった方がいらっしゃったことなど、様々な情熱をもって白川村とかかわった方が大勢いたことなども読み取れたり、
また、過去に行われた歴史に関する学術的な調査とか、そういうったものもさわりだけですが記されていたり。

白川村に住んでいる方の中には、もっともっと古い広報しらかわをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、たまに見てみると、古い資料から新しい発見があるのかもしれません。

この記事を書いた人

下山 勝巳

下山 勝巳

白川村生まれ、白川村育ちの会社員。趣味できのことったり山菜とったりきのことったり、古い文献に触れてみたり、昔の古い時代の話を調べたり、口伝を記録してみたり、わりと変わったことに興味もってみたりしています

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